「もったいねえでさ」

2014年2月9日(日)第二礼拝
三吉信彦牧師

マタイによる福音書 5章1~12節

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。 そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」


マタイ福音書5章の「山上の説教」は、主イエスがガリラヤ伝道の日々に語られた福音をひとまとめにしたものです。とりわけ冒頭の「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである」に始まる「至福の教え」はこれを読む多くの人々心を捉えてきました。ここにマタイ福音書の福音理解、「天の父なる神の慈しみ」がよく示されています。その神の慈しみの対象は、決して当時の律法学者などの支配階級ではなく、やはり貧しく、小さくされた人々でありました。ガリラヤの農夫や漁師たち、徴税人や娼婦たち、そして心身に障がいを負った人たちでした。
ただ、そういう社会的に差別された人たちへの目線でいうと、ルカ福音書の方がはっきりしていましょう。このマタイの「山上の説教」は、ルカでは「平地の説教」(ルカ6:17以下)として記されています。「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである」に始まり「今飢えている人々」「今泣いている人々」と続きます。ルカでは、単刀直入に「貧しい人々」「今泣いている人々」と「今」が強調され、そして「あなたがたは笑うようになる」と二人称で呼びかけられています。その語りかけの臨場感から恐らくルカの方が元の主イエスの言葉であっただろうと言われています。それはさらに、24節以下に「富んでいるあなたがたは不幸である」と、先の貧しい人たちと対極にある支配者層への災いが語られ、一層、ルカの社会的関心の視点が浮き彫りされています。
一方、今日のマタイ版は少し複雑な表現をとっています。ルカが現実的に「今泣いている人々」や「今飢えている人々」としたのを、マタイは「悲しんでいる人々」と一般化したり、「貧しい人々」を「心の貧しい人々」に、「今飢えている人々」を「義に飢え渇いている人々」など内面化しています。「柔和な人」、「憐れみ深い人」、「心の清い」など心のありようなどを示すものも加えられています。この内面化の傾向は、このあと続くモーセの十戒を取り上げた教えでも見られることです。例えば「殺すな」という殺人の禁止に対して「腹を立てる者は誰でも裁きを受ける」、姦淫の禁令でも、「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、すでに心の中でその女を犯したのである」など、表に出ない内面の罪を鋭く指摘されています。
このようにマタイの理解では、差別の問題は社会的な階層、金持ちは駄目で貧しい人が救われるという単純な割り切り方はできない。社会の構造上の問題は確かにあるにしても、それを解決するためには人間存在の深みに潜む罪を深く捉えなければならない。マタイは、人間の罪の問題に深くメスを入れられる主イエスと、その上で「神の憐れみ」を指し示し、その「憐れみの具現者」としての主イエスを描こうとしたのです。マタイは、他の福音書が描く民衆のただ中にある主イエスの生き様を示すことで、その教えを実践するよう人々を招こうとしているのです。

さて、この山上の説教はこれを読む多くの人の魂を揺れ動かし、様々な行動を呼び覚ましてきました。私自身も、多感な高校生の頃にこの至福の教え、特にマタイの説く「心が貧しい」とは、「心の清い」や「憐れみ深い」とは、どういうことなのかを考えさせられました。男の子にとって17歳という年は成人に至る過渡期で、人格の入れ替わりが起きるときだと思っています。私はそれまで根暗な一方、傲慢で、けれども自信がない、そういう複雑な思いを抱えていました。
その頃、母教会の高校生会で、当時でいう孤児院を慰問する活動を始めました。有志で小銭を貯めて、夏はスイカ、冬はお菓子などをもって出かけて行って、一緒にゲームをするという活動です。ところが、教会の牧師先生から「教会は慈善団体ではない」と言われて、私はその教会を飛び出しました。多感な頃ですから、そういう無鉄砲な行動をとってしまったのです。その後、私自身が牧師となって、当時を振り返ってみれば、先生の言われたことも一理があると理解出来ますし、私が過剰に反発したのも、どこか図星を突かれた痛みがあったように思うのです。それがまさに、ルカ福音書の社会構造上の差別理解と、それに対峙するマタイの内面化の問題であります。
当時、17歳で教会を飛び出した頃、私の心を惹いていたのが、ロシアのツルゲーネフという作家でありました。高校生の頃、心に響く聖句や詩歌、著名な作家の作品の一節などを、手帳に書き留めていました。最近ひょんなことから当時の「手帳」を開いて見る機会があり、そこにツルゲーネフの「散文詩」の幾つかが書き込まれていました。イワン・セルゲーヴィッチ・ツルゲーネフは、あのドストエフスキーなどと同じく19世紀半ば過ぎに創作活動した人物で、以下の詩は彼の晩年の作です。


〔こ じ き〕  (中山省三郎訳)
わたしは街を通っていた。老いぼれたこじきがひきとめた。
血走って、涙ぐんだ目、青ざめたくちびる、ひどいぼろ、きたならしい傷……。あゝ、
この不幸な人間を、貧困がかくも醜く食いまくったのだ。
かれは赤い、むくんだ、きたない手をわたしにさしのべた。
かれはうめくように、うなるように、助けてくれというのであった。
わたしはかくしを残らず捜しはじめた……。財布もない、時計もない、ハンカチすらもない……。何一つ持ち合わしては来なかったのだ。
けれど、こじきはまだ待っている……。さしのべた手は弱々しげにふるえ、おののいている。
すっかり困ってしまっていらいらしたわたしは、このきたない、ふるえる手をしっかり握った……「ねえ、きみ、堪忍してくれ。ぼくはなにも持ち合わしていないんだよ。」
こじきはわたしに血走った目を向け、青いくちびるにえみを含んで、かれのほうでもぎゅっとわたしの冷えている指を握りしめた。
「まあ、そんなことを」とかれはささやいた。「もったいねいでさ。これもありがたいちょうだい物でございますだ。」
わたしもまたこの兄弟から、施しをうけたことを悟ったのである。

 

その「手帳」には、「慰問にちなんで」、12/22と書き込まれていました。先ほどの孤児院の訪問のことだろうと思います。自分がどういう立場で「慰問」という行動を取ったのか。あまり自分と歳の違わない子供たちに、上からの目線で振る舞っていることに気づかされたのでしょう。
ツルゲーネフは自ら大富豪の出身で、母が五千人もの農奴を追い使う身でありました。ドストエフスキーや後のトルストイなどと同じく、ロシア革命の前夜の時代、多くの社会矛盾の満ちたロシアの世相がよく現れています。この「こじき」という作品には、後編とも呼べる散文詩もあったはずですが、当時の私の「手帳」には書き込まれておらず、とても気になって千葉教会の前の県立図書館に探しに行きました。ありました!こういう一文です。やはり「ほどこし」と言う題です。


〔ほ ど こ し〕
大都会に近い広い街道を、年老いた病人が歩いていた。
彼はよろよろしながら歩いていた。痩せ細った足もつれ、ひきずられ、つまずいて、まるで他人の足のよう重く、力なく歩くのだった。むき出しの頭は胸もとにだらんとたれている……彼は弱っていた。
彼は道ばたの石に腰をおろすと、上体をかがめ、肘をつき、両手で顔をおおった。曲がった指のあいだから涙が、乾いた灰色の土埃の上にこぼれ落ちた。
彼は思い出にふけっていた……
彼は、自分もかつては健康で、金持ちだったことや、自分がからだをすっかりこわしてしまい、富を赤の他人に、親友たちや敵どもに与えてしまったことを思い出していた……そんなわけで今やひと切れのパンも彼にはないとなると……みんな彼を見捨てたのだ。敵よりもはやく親友が……ほどこしを請うほど、身を落とさなければならないのだろうか?それを思うとつらく、恥ずかしかった。
涙はとめどなくこぼれて、灰色の土埃をにじませた。
ふと彼は、だれかに自分の名前を呼ばれたと思った。疲れた頭をあげて見ると、見知らぬ男が前に立っていた。
顔はおだやかで、まじめだが、いかつくはない。眼はきらきらしておらずに、澄んでいる。まなざしは鋭いが、悪意はこもっていない。
「お前は自分の富をみんなに分けてやってしまった」と、すらすら語る声が聞こえた。……「しかしお前は、善行をしたことを悔やんではいないだろう?「悔やんでいません」と、溜息しながら老人はいった。
「ただ私は今、死にかけているんです」
「もしこの世に、お前に手をさしのべた乞食がいなかったならば」と見知らぬ男はつづけた。「お前が善行をする相手がなかったならば、お前は善行を実際に修行することができなかったわけだろう?」
老人は何も答えなかった――そして考えこんだ。
「そんならお前も今となってはもう、恥ずかしがることはない」と、見知らぬ男はまたいいだした。「行って、手をさしのべるのだ。お前もほかの心やさしい人たちに、彼らがやさしいということを、実地に示す機会を与えてやるがよい」
老人はからだをふるわせて、見上げた……しかし見知らぬ人の姿は、すでに消え失せていた。と、街道のかなたに通行人が一人あらわれた。
老人はそばへ寄って、手をさしのべた。通行人は荒々しい顔をしてそっぽを向き、なにもくれなかった。だが、そのあとから別の通行人がやってきて、老人にわずかばかりのほどこしをした。
老人はもらった小銭でパンを買った。物乞いをして得た一切れのパンを彼はうまいと思った。心の中には恥ずかしさなどなかった。あべこべにひそかな喜びが彼をつつんだ。

 

「お前が善行をする相手がいなかったら……行って、手をさしのべるのだ……彼らにやさしいということを示す機会を与えてやれ……」「物乞いをして得たパンを彼はうまいと思った……」。なんとも複雑な、読む者の内面がえぐられるような文章です。多感な高校生の頃の私には、さすがにこれを書き記せなかったのでしょう。この老人は、ツルゲーネフ自身の境遇を反映したものでしょう。彼は物乞いにまで身を落としたのではないけれど、それに近い体験をしています。かつては施す側であった、今度は施される側に廻った時、どういう思いを抱き、どのようにふるまうのか。施しは、与える側の優位性を否応なく感じさせる一方で、施しを受ける側にも、相手に善行を積ませるという優越性を与えることでもある。なんともやっかいな人間の内面、そこに一筋縄ではいかない罪の問題を感じさせる文章であります。

ここで思い起こしますのは、マタイ福音書25章の終わりの日の審きを描いた譬えで、「お前たちはわたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ……てくれた」とキリストがいうのに、相手はそのことを憶えていない。そこでは、一人の乞食となったキリストを描くことで、マタイはこれ見よがしの善行、上から目線での施しではなく、ツルゲーネフが描いた散文詩〔こじき〕の中の「私」、〔ほどこし〕の中の「通行人」のように、ごくごく日常的な愛の業、ごく普通の人が自分が出来ることを、ごく普通に行うのが、主イエスの求める人間像なのだと教えているように思えます。与える側と与えられる側、そこに差別を持ち込ませない。キリストが一人のこじきになる!その姿で私たち人間社会に挑戦しているように思えるのです。

そういう意味では、私の「手帳」には、もう一つ書き記されたツルゲーネフの散文詩がありました。


〔キ リ ス ト〕
自分がまるで子供になって、天井の低い村の教会にいる夢を見た。――古びた聖像の前に、背の高い細いろうそくがなん本も、ちらちら赤い舌を動かしている。
その炎の一つ一つは虹のような暈(かさ)を着ている。――教会の中はぼんやりとうす暗い……けれど大勢の人びとがわたしの前に立っている。
みんな赤毛の百姓頭ばかりだった。それが時どき、いっせいに揺れ動いたり下ったり、また上ったりするさまは、夏のそよ風にゆっくりと波うつ重い麦の穂に似ていた。
ふいに誰かしら、うしろの方から歩み寄って、わたしと並んで立った。
わたしはふり向いてこそ見なかったけれど――すぐに、その人がキリストだと感じとった。
感動や好奇心や恐怖や、いろいろな気持ちが一どきにわたしの胸を一ぱいにした。わたしは思いきって、隣の人の顔を見た。
あたり前の顔だった。そこらの人とそっくりの顔だった。物静かな眼でまじまじと、やや上の方を見ている。唇は閉じているが、きっと結んでいるのではなくて、下唇の上に上唇が休んでいるように見える。みじかい頬ひげが二つに分れている。両手は、胸もとに組み合わされてぴくりとも動かない。着物はみんなと同じだ。
「これがキリストなもんか!」と、私は思った。「こんなあたり前の、ふつうの人が!そんなことがあるもんか!」
わたしはそっぽを向いた。――けれど、そのふつうの人から眼をそらすかそらさないうちに、並んでいるこの人は、やはりキリストなのだという気がした。
わたしは、また勇気を出してふり返った。……そして又もやおなじ顔を見出した。見おぼえはないけれど、そこらの人と少しも変らないあたり前の顔だった。
すると急に悲しくなって――眼がさめた。そのときはじめて、ふつうの人と少しも変らない顔――それこそまさしくキリストの顔だとさとった。

 

ごく普通の顔の、ごく普通の人間、キリストはそういうお方!私がなす日々の行いは、人間である以上、どこか罪のにおいを隠すことが出来ないものでありましょう。でも、私たちの傍らに立ち、そっといて下さるキリスト、それを感じるときに、貧しくひとりの小さくされた人に対して、ごく自然に気負いなく、普通に小さな愛の業がなせるのでは? そして、その小さくされた隣人がキリストかも知れない!と知る時、何と小さくなって下さったのかと、感謝と償いの思いが湧いてもこよう。思えば、私自身が罪に気づかされ、小さく弱くされて、すぐ傍にいる隣人に助けを求めるときもあろう。その隣人はごく普通の人でありつつ、あのキリストであるかも知れない。キリストは、私の心の隅々を知り尽くしたお方、私の心の一番奥底にある罪を知って、そこに触れて下さるお方であること、ツルゲーネフのあの一連の「散文詩」を通して知り得ました。17歳のころから70歳を迎えた今の私に、その間、変わらず問いかけて下さったお方に、心から感謝します。
マタイ福音書は、あの十字架のキリストこそが、「神の憐れみの模範」として、私の傍らにいて下さるお方です。私はその十字架の陰に匿われて、このお方によって高慢な心を打ち砕かれ、ひたすら赦しを与えられつつ、自分に日々、託された業に生きようと願います。アーメン