教会の暦から

アドベント

教会暦2017

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キリスト教会の暦は,クリスマス(12月25日)の前の4回の日曜日から始まります。今年は,12月3日がこの最初の日曜に当たり,ここからクリスマスまでの間を「待降節」(アドベント)と呼んでいます。

神様は,お互いに愛し合い,他の生き物やこの世のすべてのものを大切に扱って欲しいと考えて,人間を造られました。ところが,中途半端な知恵をもつ人間は,互いを憎み,殺し合い,地球上の生き物や環境を台無しにする罪を犯すことになります。神様は,ご自分が人間を造ったことを後悔して,人間を滅ぼそうとされたこと(たとえば,ノアの大洪水)もありますが,憐れみによって,滅ぼし尽くすことはされませんでした。

それでも罪を犯すことを止めないのが,人間です。遂に神様は,ご自分の“子”といえる方を人間としてこの世界に送り,神様の心を人間に伝えさせることになさいました。この子が,イエス・キリストです。イエスさまが語る言葉を信じ,神様の心を受け入れる人たちは,その罪を(ゆる)そう。そう考えた神様は,イエスさまを贖罪(しょくざい=罪をあがなう)の生け贄(いけにえ)として十字架上で死なせることまで,決意されたのです。

このように,教会にとってクリスマスは,私たちの罪の赦しのためイエスさまがこの世に送られて来た日として,喜びに満ちた日であると同時に,イエスさまが私たちの罪のため死なれたことを思い出し,悔い改めをもって過ごす時でもあるのです。

〔いくつかの箇所で,ホームページ担当の一信徒の考えを書かせていただきました。〕

 聖書に「この世の知恵は、神の前では愚かなもの」(コリント一3:19)とあるとおり、人間の頭で考えた知恵は、とても神様との知恵比べで勝てるものではありません。そのように、人の思い高ぶりをいさめる言葉は正しいように思えますが、最近の「反知性主義」(考えることを止める)や「ポスト真実」(何が真実かを知る必要はない)は、人間に世界の管理を委ねてくださった(創世記1:28)神様のご意志に反するのではないでしょうか。しっかり考えて、責任をもった行動をすることが、人間には求められているのだと思います。
そうでなくとも、最近は物事を単純化し、一見わかりやすく説明すればよい、という風潮があって、とても心配です。
たとえば、いわゆる「共謀罪」については、「テロ対策ならば、多くの人が賛成してくれるだろう」という考えから、法律に「テロ」という言葉を入れさえすればよい、という考え方があるようです。この法律の本当の問題は、共謀罪として何が処罰されるか、ということだけではなく、共謀罪の捜査の名目で警察が国民の日常生活に(GPSを仕掛けるなどして)足を踏み入れることを許してよいのか、そのための法律上の根拠を作ってしまってよいのか、というところにあるのに、それが見えなくされています。
もっと身近な「選挙」についても、私たちはもっと知恵を持つ必要があります。選挙では、「この人、この政党に政権を担当して欲しい」という人、政党に投票すれば良い、と教えられてきました。その結果、「他の候補や政党よりはマシだから」という理由で、一人の候補者や一つの政党に思いがけなく多数の票が集まり、驚くような選挙結果が起きています(国民投票でも、同じですね。)。「他に良い選択肢がない」からといって、「やりたい放題できるような票数を与える」ことは、余りに危険です。ある政党が政権を取ることは良いとして、国会や議会における他の政党の考え方を無視することはできない状態にしておくことが、政治を最も活性化するように思えます。
人間の知恵には限りがありますが、その知恵すらも使わなくなったとき、人間は神様の信託を受ける資格も失ったと言えるのではないでしょうか。(これも,ホームページ担当の一信徒の考えです。)