「イエス様、できません」

2013年6月16日(日)
寒河江健伝道師

マタイによる福音書 5章21~26節

 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」

 

  1. イエス様は大勢の群衆と共に山に登り、腰を下ろして人々に語られました。「悲しむ人は、幸いである、その人は慰められる」。このような慰めの言葉の後、イエス様はちょっと厳しいことも仰います。「昔の人が授かった十戒には『殺人をするな』と命じられているが、しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる人はだれでも裁きを受ける」。厳しいなぁと思うお言葉ですがイエス様は直後に、腹が立ったらすぐに仲直りしなさいと仰います。イエス様が言いたいことはこの仲直りしなさいということです。イエス様は腹を立てない人は一人もいないこと、そして誰でも腹を立てたときに仲直りしなければ裁かれるという話から、裁かれない、悔い改める必要のない人はおらず、皆が悔い改めつまり神さまの方向を向いて歩む必要があると言っているのだと思います。
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  3. 腹が立つ相手と仲直りをする。これは殊に私にとってとても難しいと思えることです。世の中にはたくさんの人がいますから、わざわざ仲直りというしんどい生き方をしなくても生きていけます。仲直りしなさいというイエス様の命令に対して、「イエス様、できません」と思ってしまいます。しかしイエス様に対して「できない」と思うことは不信仰なことでしょうか。私は健康的な感情だと思います。私たちは「できない」という感情と常に向き合いながら、できないからしないのではなく、私たちができないと思うことも神さまを信頼してやってみるのです。この行為にこそ可能性があり、この可能性を私たちは希望と呼びます。
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  5. かつて可能性に大いなる夢、希望を抱いた人物がいました。マーティン・ルーサー・キングJr.牧師です。彼は1950年代から始まる公民権運動のリーダーシップをとり、全ての人間の平等な権利を実現するために活動しました。この活動は当時常識として考えられていたアフリカ系アメリカ人への差別の法律上の撤廃を可能にしました。キング牧師は公民権運動の先頭に立ったために、たくさんの恫喝や脅迫に会いました。彼の愛する妻や幼い子どもの命が危険にさらされ、キング牧師はひどく悩み、苦しみ、もがきました。「イエス様、私にはできません」。このような思いで一杯だったでしょう。しかし彼は苦しみの最中に彼に出会い、励まし、慰めてくださった神を信頼して最後まで使命を全うしました。
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  7. 彼の活動の後半は、社会的・経済的な地位が上昇した結果保守化したアフリカ系アメリカ人の教会から見放され、孤立した中で行われ、暗殺という形で生涯を閉じました。しかしキング牧師は孤立する中でも最後まで希望を失わずに行動し続けました。結果がついてくることもあればついてこないこともありましたが、キング牧師は自らが苦しむ時に出会ってくださった神を最後まで信頼し、行動し続けました。神によって自由にされた人間として、彼は最後まで神に応答する生き方を選んだのです。
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  9. 神さまは私たちに「できません」と思えることを命令されます。その時私たちには「神さま、できません」と言い、しないという自由もありますが、次のような自由もあります。「神さま、できないと私は思いますが、私はあなたを信頼してやってみます」。