ゆっくり歩きながら

2016年1月31日(日)
三吉信彦牧師

ルカによる福音書 24章13~32節

ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

  • エマオのイエスとして、たいへんよく知られたこのお話には、ルカ福音書のメッセージが要約されていると言われます。よみがえりの主イエスが、二人の弟子たちと一緒に歩きながら、十字架と復活の出来事について話し合われ、また聖書全体について説き明かされるという、そして、宿屋で一緒に食卓を囲み、パンを割かれる主イエスの姿で、二人の弟子の信仰の目が開かれるという、まことにうるわしい物語であります。その情景が目に浮かぶようで、ああ、私もそこにいられたらなあ、とうらやましくなります。でも、この二人の弟子たちとは、私たちのことなのです。主イエスは、今も私たちに寄り添って歩いて下さっている、同伴者イエスと呼ばれるお方の姿であります。

     また、復活とは早朝の出来事でありまして、その際、明るく喜ばしいニュースとして、私たちを目覚めさせ、さあ、これから元気に精一杯生きよう、という思いにさせられます。でも、このエマオのイエスは、夕暮れのイエスです。どこか愁いを含み、物思いにふけるような、しっとりとした印象を受けます。それは、人生の夕暮れにさしかかっている私だけの印象なのかもしれません。でも、このお話の中の主イエスは、弟子たちと一緒に歩かれる姿、お話ししながら歩かれる、それは福音書で描かれる主イエスの歩かれ、町々村々を巡られた主イエスの姿を象徴しているように思われます。歩く主イエス、それは大股ですたすた歩くというより、ゆっくりと歩を進められたのではないか、そういう印象です。

     夕刻というと確かに急ぎ足をイメージしますが、弟子たちと語らいながらであるならば、きっとゆっくり、時に足を止めながらの歩きではなかったでしょうか。エルサレムからエマオまで60スタディオン、約12キロメートルですから、ゆっくり歩いて3時間ほど、それは私たちでも歩ける範囲ですし、当時であればなおさらでありましょう。私は、主イエスの歩かれる姿を想像するとき、やはりこのエマオのイエスを思い浮かべます。以前、こひつじにも掲載しました、故齋藤敏雄先生の色紙に描かれた主イエスの歩く姿が好きです。少し思いにふけられているような姿勢、大股ではなくゆっくりと歩を進められる姿、これは夕暮れのエマオのイエスの姿ではないかと思っています。
  • 私たちも日常的に歩くということを致します。人生は旅路に例えられますが、急ぎ足で歩く時や、時に散策を楽しむような歩き方もありましょう。あるいは問題を抱えて立ち止まって物思いにふける時など、色々ありましょう。私は歩くことが好きで、月曜日などにはよく歩きに出かけます。そのコースはいつもは青葉の森一周や、花見川沿いを歩くなど決まっていますが、時に東金街道や小湊鐵道沿いなど遠出することもあります。その際も、歩き方はゆっくりです。風景を楽しみながら、四季折々の変化を楽しみ、道ばたの花や、小さな生き物に目を留めながら歩きます。千葉教会員のHさんと一緒に歩くことがありましたが、彼は自転車で遠出を楽しむほうだと言われます。その場合は決して足下の草花に目をやることはないのでは?恐らくスピードを楽しみ、遠くに流れる風景を楽しむという在り方でしょう。また、物思いにふけって自転車を漕いだりしたら、危険ではないでしょうか。というような事をHさんと議論したことがあります。
     要するに私にとって歩くことは、一つは無心になって歩いたり、逆に物思いにふけったり、ある種、日常性を離れてみるということです。もちろん、悩み事を抱えて、考え事をしながらということもあります。そういうときに、ふと、このエマオのイエスの姿を思い起こして、一緒に歩いて下さることを実感したりします。

     高の原教会の牧師をしていた時代に、筋ジストロフィーの青年たちを介護するボランティア・ピーターパンが教会にできました。国立西奈良病院で療養している約20人ほどの介護に当たるのですが、その関わりの中から、いろんな事を学びました。筋ジスの青年たちと介護に当たる大学生や社会人たちの間で恋が芽生え、結婚にゴールインするカップルも何組か生まれました。その中で、Eちゃんという筋ジスの女子青年とS君というカップルがいたのですが、Eちゃんというその女性は詩を作るのです。それにシンガーソングライターが曲をつけたのを、S君がギターを弾いて歌うのです。昨年の暮れでしたか、彼らが老人ホームや養護施設で歌っているのがテレビで紹介されていまして、ああ、Eちゃんだ、と懐かしく見させていただきました。S君は市役所の職員なのですが、土日にはそういう活動をしているのです。で、そうだ、と思い出したのが、「ゆっくりゆっくり」というEちゃん作詞の歌です。筋ジスというのは徐々に筋肉が衰えてゆく病気ですから、元気な人のように歩けません。ゆっくりゆっくり体のバランスを取りながら歩くのです。私たちは気の毒なと思いますが、彼らは私たちが歩き回り、走り回っている中では見えないもの、見えない情景を発見しているのです。
    ・・・小さな花、ありさんの行列、あるいは青い空、ゆっくりゆっくり歩いているからこそ見えてくるものがある、そうしてゆっくり歩いている中で、あなたに出会った・・・。
    そんな歌でした。EちゃんはS君と出会ったのです。この歌は、以前、日本盲人キリスト教伝道協議会の婦人部の集会が千葉で行われた時に、ギターで歌って紹介した曲です。とてもいいですね。そうです、ゆっくり歩いていたら、イエス様に出会った、と歌詞を変えて歌うと讃美歌になるかなと、勝手に変えて歌いました。ゆっくり歩くとイエス様に出会える、せかせか歩いたり忙しくしているとイエス様を通り越してしまう。エマオのイエス様もゆっくり歩かれているのですから。
  • お許しを頂いて、タイ・ラオスの訪問・視察旅行に出かけました。タイのチャンタミット社の年次総会に出席するのに合わせて、ラオスのハンセン病のことを知りたいと思って、今年は遠出をしましたので、少し長い期間となりました。ラオスの人々の生活状況はタイより少し遅れている、インフラ整備も行き届いていないという感じでした。千葉教会員の看護師、阿部さんのいるタイ東北部のコンケンから北上して国境を流れるメコン川を渡りますと、すぐにラオスの首都ヴィエンチャンです。そこの感染症センターの職員の方の案内で、西北に3時間離れたソムサヌックというハンセン病コロニー(患者・回復者療養施設)に入りました。ラオスはだだっ広いタイとは違って、北の方に車を走らせますと山々が連なって、風景は日本と似ているな、と思いました。村に入って人々の暮らしぶりを見せて頂いたのですが、幹線道路から山を切り開いたところにハンセンを病む人々が移り住んできたと言うだけあって、坂を登っていく道の脇にタイでも見られるような粗末な家が並んでいます。まず最初の印象は子どもが多いということです。日本の療養所と真逆で、お祖父さん、お祖母さんがハンセン病でその子どもと孫達が一緒に暮らしている。出生率は高いのですが、お祖父さんお祖母さんが60,70才位でなくなっていくので、村としての人口はあまり増えないけれど、小さな子どもたちが多くなると言うことでしょう。農業をして暮らしているのでしょうが、日々の暮らしはゆったりとしていて、あくせくしていない、時間はゆっくりと流れている、そういう思いがしました。子どもたちも若いお母さんたちも物怖じしない、人なつっこいという感じでした。村の診療所の責任者は、幹線道路からの入り口の道が急な坂で、雨が降ると高齢者はすべって上り下りできないので、ワークキャンプで舗装して欲しいと言われました。チャンタミット社と相談してみようと思っています。
     その坂道を、阿部さんは何回か訪れているので、療養所の皆さんに話しかけたり、足の傷や義足の具合などを見ながら、ゆっくりと上って行きました。帰り道では、この教会でも販売されている、綺麗な刺繍を施された財布や小物入れを造っているところを見せていただきました。細かい手作業を、不自由な手でよくやれるなと感心しました。ともかく、ゆっくりとした時間の流れに身を任せた二日間でした。

     私たちの日本は忙しすぎる。生活の手段が便利になると、余計に忙しくなると言う矛盾、それを見せつけられた思いです。ラオスでは、道路は地道、坂ですから自転車は使えない、ガスではなく薪で食事を作るなど、時間のかかる生活ぶりです。生きるために不可欠な食べること、洗濯すること、薪を取ってくること、水を汲むこと、生きるということ、そのことが一番大事という生活、それほど単純で、しかも貴いものはない、と感じました。3才の子を虐待して死に至らしめるとか、仲間をいじめ殺すという若者、そういう日本のニュースを聞きながら、ラオスの小さな子どもがいるのにまたお腹に子を宿している女性の姿や、なんの屈託もなく、かわいい笑顔の子供たち、それが当たり前という光景を思い浮かべ、いのち、ということばが私の脳裏に焼き付きました。
     ラオスでゆったりとした時間の流れの中に身を置いて、ゆっくりと歩きながらさわやかな思いに満たされたひとときでした。

     千葉教会も昨年は少し忙しすぎたかな、来年度はゆっくり、ゆったりを標語にしようかなと思いました。この日本の忙しい時代社会のまっただ中で、切り取られた礼拝の恵みの時間と空間、これをこそ大事にしよう。教会のいのち、それは礼拝です。そこから押し出されて生きる社会生活ですが、私たちの日常の歩みにも、主が一緒に歩いて下さる、その想いを抱いて新しい歩み出しをいたしましょう。